計算ミスを考える(4)「計算ミスの対処事例と2つの追加の視点」
前回あげた計算ミスのポイントについて、いくつか対策例を見てみましょう。
字の汚さによる自滅は、統計をとってみたことはないのですが、感覚的には一番多いミスの傾向ではないでしょうか。この問題は、そもそもの字の傾向や、性格的な問題についても含有しておりますので、固執しすぎると、逆に嫌になってしまったり、計算スピードや推進力を損なう可能性もありますので、そこは念頭に置いておきましょう。
ポイントは、上記の通りですが、特段に目新しさはないですね。そうです、原因が特定できるならば、対処方法は、はっきり言えば、グーグルで検索すれば普通に出てきます。ごまんと。強いていえば、「計算過程の音読」などは少し独自の視点かもしれません。自分で読めもしないものを書いている、というのは割とグッとくるところです。
もう1つ、「かけ算の筆算の時の足し算のミス」についてみてみましょう。繰り上がりの「1」の扱いが中心になります。
ここについても、「1」の扱い方については、いくつか処方箋があるわけです、「なんとなく」やらずに「こうやるんだ」と意識して取り組んでみることが大事でしょう。
ここも、1つ1つ見れば、対処方法には特段の発見はないのですが、字の汚さと同様で、「この傾向を撲滅しよう」という意思決定をできれば、対処方法は割と容易に見つかります。
ですので、大事なことは、「どうやって計算ミスを直すのか」の前段階において、「何が原因なのか」を明確にすること、となります。
例えば、ある子がいて、その計算ミスの原因が「字の汚さ」によるものであるのに、そのことについての対策を講じないで、問題練習だけどんどん「ミスを減らそう」として取り組んでも、それは、ただただ辛いだけで、それによってミスが減ることはありません。あるとしても、非常に緩やかな漸減的です。
イメージとしては、スポーツの練習でなかなか調子が上がらない人に、その人は実はお腹が痛いのに、そのお腹が痛いことを直すための薬を処方せずに、「気合いが入ってない!もっと練習しろ!」と言っているようなものです。それは、理不尽ですよね。誰でもそうお思います。でも、勉強については、知らず知らずのうちにそういうことを強いていることが非常に多いです。
大事なことは、「計算ミスは、たくさん問題練習をすれば良くなる」というものではない、ということです。
さらに、計算ミスについて念頭においておくべきことがあります。
1番目が、計算ミスは、いつ、そういう傾向が生まれるのか、という点です。それは、かなり多くのケースが「その計算を習ったはじめの時」に求められます。
例えば、割り算の筆算の計算を始めて習う時、学校では30-40人の生徒に対して先生がレクチャーをしてくれるわけですが、正直、その日ぼんやりしている人もいますし、たまたま先生の言っていることがわかりにくいこともありますし、逆に予習を家でしていて、しっかり聞いていない子もいます。状況はバラバラなのですが、その一人一人の様子に寄り添って対応、指導していくことは不可能です。
ですから、どうしても、新しい計算の仕方の導入において、個人差が生まれてしまうのは、構造上致し方のないところで、だからこそ、ご家庭ではここについては、他の時とは重要度を別に捉えて、しっかりみてあげたい、という時期になります。
学校でやってくれよ、と言いたくなりますが、一人一人の「習得の仕方」まで先生が見るのは不可能です。ですから、新しい計算の取り掛かり時期、だけは、変な癖がつかないように、しっかり一緒に見てあげることが大事です。
計算の「癖」というのは、一度ついたものを除去していくのは非常に難しいです。その労力に比べたら、取り掛かり時期にしっかり一緒に正しい取り組み方を見ていく労力の方が、はるかに楽です。結果としては。ここはぜひとも注目したいところです。
もう1つが、計算ミスの傾向というのは、詰まる所「性格に起因する」部分が多い、ということです。おっちょこちょいであるとか、面倒くさがりやであるとか。
計算ミスの原因を特定し、対策講じて、ある一定のレベルで改善を見ることは確実に実現できるでしょう。しかし、これらの問題が性格的なものに起因するならば、「一度治っても、しばらくすると、ぶり返す」可能性が高いです。残念ながら。ですから、非常に厳しい視点ですが、計算ミスの傾向とは「一生付き合っていく」覚悟が必要、ということです。
ただ、その覚悟を決めて、常に「大丈夫かな」とチェックをし続けていけば、その頻度や深さ、というのは漸減していくことは間違いありません。
次回は、ミスの傾向について、もう少し別なテーマについても見て見たいと思います。