学力工房のミッション

学ぶチカラを作り出す
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STEMの原体験

21世紀型の持続的な学習能力

勉強は何のためにするもの?

学校へ入り日々を過ごす中で、誰しもが一度は思うことが「勉強って一体何のためにするものなのか?」という疑問ではないでしょうか。親御さんであれ、先生であれ、この質問に対してそれぞれのお答えや思いがあるはずです。

私たちは、この問いに対して、勉強とは「社会に出て活躍するための力を身につけるため」のものであると考えています。

しかしこういう意見も子供達からはたくさん出るでしょう。「でも、数学の関数って将来何かに役に立つの?」と。あるいは「美術とか意味あるの?」などなど。

確かに、1つ1つの学習している中味が将来そのまま全て自分の役に立つとは言い切れないでしょう。なぜならば、みな将来において力を入れて取り組むことは違うからです。消防士になる人もいるでしょう、弁護士になる人もいるでしょう、サッカー選手になる人もいるかもしれません。

それらの将来において、学校生活で学ぶ各科目がそのままダイレクトに「役立つ」とは限りません。

しかしながら、それでは一体「何が自分の将来に役立つ」勉強なのでしょうか?もしもこの問いかけに対して、明確な答えがあり、自分と周りの人がそれを認められるものなならば、その分野の勉強を猛烈に頑張っていけばいいと思います。

でも、多くの人はそうではないでしょう。そして、無理にそういう理想の将来像を決める必要もありません。子供達が持っている情報量や経験量は大人のそれと比べて圧倒的に少ないです。その少ない情報から無理に自分の将来像を固定化することは、不本意な結果になり兼ねません。

では、学校の勉強は何のためにするのか?受験のため?進学のため?もちろんそれらは大事な一つの要素ですが、それは勉強をした結果であって、勉強そのものに対しての価値付けとは言いにくいです。進学するという目的のためにする勉強は、手段であって目的ではありません。

私たちは、そのような結果指標を高めるための手段としての勉強ではなく、「勉強をする事そのものに価値がある」と考えています。

20世紀までの教育では、そのような「勉強する事そのもの」の価値として重視されてきたのは、「正確なインプット」であり「正確なアウトプット」であり「高い勤勉性」であったと言っていいでしょう。今も基本的には大きくは変わっていないかもしれません。

それに対してこれからの教育で求められるのは、「変化に対応する力」であり「学び続ける力」であり、加えて「テクノロジーリテラシー」であると考えています。

​3つのポイント

①変化に対応する力
②学び続ける力
③テクノロジーリテラシー

①変化に対応する力

既に誰しもが感じているように、世の中の変化のスピードは20世紀までのそれと21世紀のそれでは全く違います。電話が登場してから携帯電話が登場するまでに約100年。そこから携帯電話がスマートフォンに置き換わるのに約30年。実質的には2007年にiPhoneが出てから10年もしないで個人の電話ツールの中心はスマホになっています。そしてそのスマートフォンにより常時インターネットにつながる状態が常態となることで、現在はそもそも電話という機能自体が衰退しつつあります。

そのような変化のスピードがどんどんと速くなっていく、これは加速することはあっても緩やかになることはきっとないと思われる、そういう時代においては、変わっていく周辺環境に対して先取りをする、あるいは変わっていくことに適応していくということは不可避です。

進化論などの論を待つまでもなく、人類などという大枠で見ずとも、企業という程度の枠で見ても、WEB化やIT化に対応できないで生き残れるところはないでしょうし、今後はAIやIoT、そしてシンギュラリティの世界へと向かっていく中でどのように対応するかということに必死なわけです。

②学び続ける力

そのような状況の変化の速い中においては、学ぶこと、とは学校過程で終結するものでは到底なく、社会に出てからも次々と出てくる新しい考え方、仕組み、テクノロジーをどんどんと学んでいくことが必要です。しかし、社会に出てからは特段スクールとかに通わなければ、学び方を教えてはくれません。ですから、学校過程を通じて自分自身で学んでいく力をつけ、何歳になろうと新しいこと必要なことを学ぶことのできる人間になっていくこととがとても重要です。

③テクノロジーリテラシー

変化のスピード、学びのスピードや効率を上げるために、また私たちの社会が、全てがインターネットにつながる時代を迎えるにあたり、その知識や経験がますます重要になっていくでしょう。WEBサービスを上手に使うこと、テクロジーを自分の生活に取り込むこと、さらにはテクノロジーそのものを作り出すこと、そういった力がこの先求められる大きな力であるのは必然です。

勉強とは、成績を上げて高い偏差値をとって、よい学校に進学する、そのような手段としての勉強は当然に現在進行形であるわけで、避けては通れないわけですが、それだけのものではありません。各科目の学習を通じて、受験への学習を通して上記にあげたような3つの力を身につけていく、そういう「過程」を経てきたかどうかが、勉強の結果として現れる数値よりもより重要です。

極論すれば、好ましい過程を経て、3つの力を身につけたけれども、受験そのものは当日テストで失敗してしまって1つ下の学校に入ったAさんと、ラッキーでいい学校に入ったけれど、ただただ言われるがままにだけ勉強していたBさんで、では、その後どちらが活躍する可能性が高いかといえば、それは断然にAさんである、そういう時代といっていいでしょう。

ですので、私たちは学習においては「結果よりも過程を重視する」べきだと考えております。好ましい過程のない結果は、よい結果も悪い結果も単なる運でしかない、と思っています。

​好ましい過程とは何か

好ましい過程とは何か、を考えるにあたっては「OS」をイメージして見たいと思います。WindowsとかAndroidOSとか、iOSとかの、PCやスマートフォンを動かすためのオペレーティングシステムです。このOSがあって、その上で色々なアプリやソフトが動いているわけです。PCが一気に世の中に普及したのはWindowsの登場なしに考えられませんし、スマートフォンではAndroidOSとiOSしか結局は無くなっており、要は優れたOSがあることで、アプリやソフトの進化や普及があるわけです。

学習においてもこのOSがあります。国語や数学や英語などの各科目はこのOSの上で動きます。そして、この学習OSのレベルは一人一人違い、それは日々の学習の様子や生まれ育った環境、幼少期においてどのような教育を受けてきたか、あるいは遺伝的な要素などによって決まってきています。

簡単なイメージをして見ましょう。小学5年生が漢字の練習をします。今日は6個の新しい漢字を学校で学びました。その漢字をノート1ページに練習する宿題が4日後までに出ました。この時に、嫌々ながら前日にテレビを見ながら適当に書きなぐって終わりにする人と、1日2個づつ、読み方を意識して丁寧に、熟語の意味を辞書で調べながら学習する人と、漢字の習得に差があるのは言うまでもありません。でも「提供された教育」は同じです。

つまり、高いレベルの学習OSを持っている人と、そのレベルの低い人では同じ教育を受けても得られる教育効果はまるで違う、ということです。ですから、学習においては、すべからく教科の知識を習得することと並行して、学習OSのレベルアップを図っていく必要があるわけです。初期のiOSでは、当然ながら現在のiOS10の64ビットのアプリは動かないわけで、学習OSもレベルを常にあげていかないと、学習内容が高度になるにつれて対応できなくなるわけです。そのレベルアップをし続けることこそが、変化に対応する、という力になっていきます。

私たちは好ましい過程とはこの「学習OSの進化」であると考えます。そしてそのためには、学習OSを定義し、インストールすることと、そのレベルアップを図っていくことが必要です。その学習OSを「学ぶチカラ」と定義づけていきたいと思います。この「学ぶチカラ」の好ましい変化が、結果よりも重要な過程の変化と考えております。

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